職のない人間が考えていること

先日、退職届にサインをした。

 

そのうち役所に行って国保加入の手続きをし、転職活動に向けて本格的に動き始めなければならない。

 

毎日転職サイトから情報収集をしているが、一般事務、完全週休二日制、年間休日120日以上、月収20万以上、という条件では、得体の知れない派遣会社が名を並べるだけだ。大学卒業後は進学し、一般的な就職活動をしたことがない私には会社の選び方がわからない。

 

もう仕事に対してやりたいことなどない。だけど、正当な理由がないのに働いていない状況は脱出したい。毎晩、不安で仕方がない。不安があるのならまだ休養が必要なのか、病気の域ではなく怠惰なのか、何もわからない。医師の意見も聞くべきなのだろうが、病院にはもう行かないことにした。初診で話も聞かずに薬を処方する医師の元へは通う必要はない。私は確かに適応障害なのであろうが、薬でどうにかしようとされるものではない気がする。二回目の受診の際、「ちゃんと飲まないと治らない。どんどん社会復帰できなくなる」と言われた。飲みたくないなら飲まなくていい。

 

そんな中、以前読んだ恐ろしい本を思い出した。「専業主婦になりたい女たち」という本だ。今思えば、私は高校生の頃から、社会人になったら2、3年目で理想の男性と出会って結婚して専業主婦になるのだということを想像していた。その本によると、現代ではそのような甘い考えでは生きていけない。女性は結婚や出産をしたとしても、細く長く仕事を続けることが大事なのだという。生計を共にする人や頼れる実家を失ったとき私には何も残らない。自分一人でも自立した生活を送れるくらいは稼ぐ必要があるということを痛感した。

 

それなのに私は、仕事は一生続けるものではないという淡い期待を心のどこかに置いていた。

 

もう20代半ば。30を過ぎると正社員での中途入社は難しいときく。世間はなんて厳しいのだ。年齢や経歴で取捨選択される戦いに挑みたくない。精神を削って勝ち抜いたとしても、環境にやられて再び振り出しに戻るのも怖い。国家資格を持っているので就職先は最悪なんとかなるのだが、私はその職との相性がどうも悪いようだ。

 

そもそも働くこと自体、向いていない人間もいるのではないか。

 

正社員にこだわらず、フリーターという選択肢もあるが、手取りが今(もう今ではないが)より7万ほど下がってしまう。ボーナスもほとんどもらえなくなる。正規と非正規で同じ時間働いてこれだけの差があるのなら、さすがに正社員になったほうがいい。その分責任や業務負担は重くなるが、少なくとも、なれるうちは目指した方がいいのだろう…。

 

あたしンちの母のように生きたかった。だが、現代においてはあたしンちの母の生活は、裕福な家庭の専業主婦ライフに過ぎない。

 

半年後、私はどんなブログを書いているのだろう…。